
創設者挨拶に代えて
これは小生の出身高校の陸上部誌に寄せた、後輩達へのメッセージを転載したものです。同時に、等しく陸上競技を愛するみなさんへのメッセージでもあります。稚拙で、恥ずかしくなるような文章ですが、私の、そしてRACの原点がここにあると思っています。私達が陸上競技をどれほど愛し、真剣に考えているか、お分かり頂けるのではないでしょうか。
42.195kmの足跡
立命館大学陸上競技同好会 初代会長 竹内昌秀
人生をマラソンに例えると、自分は今、いったいどのあたりを走っているのだろうか。
42.195kmという距離を、0.5km=1歳に換算してみてほしい。ゴールは平均寿命とほぼ同じ84歳である。
5km地点(10歳)。オーバーペースで入る人が非常に多い。アマチュアランナー、つまり一般人の場合、マラソンでは最初の5kmで勝負が決まるという。この5kmを貯金にするか借金にするかで、後々つけが回ってくるということだ。
10km地点(20歳)。ここまで貯金ができている人は、徐々に調子が上がってくる。ただし、ここでバネを使って走ってはいけない。決してバネだけで走り切れる距離ではない。
15km地点(30歳)。まだまだ元気で、非常に気持ちがいい。足も軽い。給水を忘れずに。
中間点(42歳)。ここまではほぼ全員が走れる。ここから、幾つもの正念場がやって来る。数字の上では折り返し地点だが、往路と復路はまるで別世界である。
25km地点(50歳)。ここで余裕があるかどうかがポイント。この後の分岐点になる。
30km地点(60歳)。分岐点で余裕があれば、ここから徐々に調子が上がってくる。10km地点とはまた違った感覚だ。逆に分岐点で余裕がなければ、歩いてしまうまでにそれほど時間はかからないだろう。文明の生活に慣れた私達は、既に肉体的な限界を超えている。ここからが本当のマラソンなのだ。
35km地点(70歳)。ロングスパートがかけられる人、気力で走っている人、途中関門の制限時間に引っ掛かる人、リタイアする人・・・。これまでのレース内容に関係なく、全ての人が突き当たる壁がある。そして、なんとか収容車には乗るまいとする、それぞれの闘いがある。
ゴール(84歳)。ウイニングランを続ける人、ゴールに倒れこむ人、制限時間に間に合わない人・・・。
全ての人がゴールテープを切れるわけではない。しかし、走った人の数だけ、流された汗がある。零れ落ちた涙がある。輝きを放つ笑顔がある。抱いた夢がある。託された祈りがある。その人を支えた・・・愛がある。それぞれのドラマが、そこにある。それぞれの足跡が、そこに刻まれているのだ。
覚えておいてほしい。マラソンには、多くの人が携わっている。先頭集団を引っ張る人がいる。風除け役がいる。全国に中継する人がいる。給水を差し出してくれる人がいる。交通規制をしてくれる人がいる。沿道で、スタジアムで、テレビの前で応援してくれる人がいる。多くの人に支えられて、あなたは今、この路を走っている。多くの足跡の上を、走っている。感謝の気持ちを、決して忘れてはならない。
夏目漱石の「吾輩は猫である」の中に、「鏡は己惚(うぬぼれ)の醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である」との一節がある。私は、「マラソンは自分を映し出す鏡である」と思う。突き当たった幾つもの壁の陰に、己惚や慢心はなかったか。誤魔化しの効く距離ではない。成功も失敗も、正直に現実を映し出すのみである。同じ壁に突き当たる人もいる。しかし、得たものを生かして、次々に新たな壁に挑んでいく人もいる。それが「成長」なのだ。
君達はまだ、走り出したばかりだ。遥か彼方へと続く路の果てに、君達は何を思い描くのだろうか。42.195kmの歴史の中に、どんな足跡を刻んでいくのだろうか。
・・・人生をマラソンに例えると、あなたは今、いったいどのあたりを走っていますか?
平成15年3月(当時19歳)
© 2003 RAC M.Takeuchi

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